キャンペーン


支援報告

1月7日(金)

ゴスペル・ハウス(GH)チームは1月7日(金)3時15分、マンダンペからタンガッラに向けて食料と他の必要物資を載せたトラックで出発しました。金曜の午後の渋滞のために、私たちがタンガッラに到着したのは深夜となりました。今回は、私たちの主要なお客様で、イギリスから来た夫婦が同行してくれました。夫婦は、救援物資や子どものためのお菓子、新鮮な卵を避難所の人々に配ろうと持ってきていました。タンガッラ・ベイ・ホテルで一泊し休養した後、ボランティアでタンガッラ出身のスランガ、ラシータ、ルワン、サミスと合流しました。

その後、私たちはシーニモダラ寺院に避難した人々に会いに出かけました。寺院に開設されていた避難所は最低限の設備のある臨時避難所に移動していました。この臨時避難所はシーニモダラ寺院から1km西方のパラップアにあります。この臨時避難所は海に面しており、漁師のための住宅として政府によって建設されたものでした。しかし近年の政策の変化により漁師に配分されないままになっていて、今回臨時避難所として使用されることになりました。GHチームは戸別訪問してその家族が何を必要としているかをチェックしました。今回嬉しいことに、シーニモダラ寺院一時避難していた人々全てに定住のための物資を配布することができました。この複合住宅は88戸あり、他にも24家族が避難してきましたので、支援対象グループの数は増加したことになります。この24家族が移動してきたのが8日(土)だったため、物資を配給することはできませんでしたが、今週中にも同じ内容の物資を届けると約束しました。この避難所に住む人は恐怖心を抱きながら生活をしていました。一階に住む家族は特にです。津波発生時にはこの建物の1.3mの高さにまで水が到達したからです。一階に住む人々は、夜間には枕やマットを持って上の階に上がり睡眠をとっていました。

現在この避難所にいるのは18歳以上の女性86人、男性95人、18歳未満の女子79人、男子80人です。まだ情報収集しているところなので、詳細はまた報告します。

戸別訪問し必要なものを聞き出しながら、トラックに積んだ物資を受取れる引換券を手渡しました。64家庭に定住用パックを配布し、また新しく避難した人々も含めて男性にはサロン2枚、家族のメンバー全員に枕、男性・女性・子ども用の下着2枚ずつ、子どものいる家庭には粉ミルク4パックを配布しました。この作業には一日かかり、土曜の夜8時に現地を出発し7時間の帰途につきました。この定住用パックは一パック38.5kgあり、内容は末尾の表になります。

現在この88世帯がいる避難所は必要最低限の設備しかなく、水もトイレも灯りもありません。皆が飲み水や洗いもののための水を取りに行かなくてはなりませんし、一つしかない共同トイレを使わなくてはなりません。楽に水を取りに行けるのは一階にいる者だけです。各家庭で調理をすることは可能ですが、どの家も調理器具を持っていません。それで一階に共同調理場を設けることについて話し合いましたが、怪我や病気の者も多くそこまで行くのは難しいということになりました。特に4階にいる者にとっては階段の昇り降りは容易ではありません。夜はロウソクを灯して明かりをとっています。飲料や洗い物用の水の配給は間隔を空けて行われています。

戸別訪問して皆の体験を聞いてまわりました。どうやって自分の、家族の、隣人の命が助かったのかについてはそれぞれにストーリーがありました。スランギカは一才半の息子を亡くしました。息子ディルシャンの遺体は津波の二日後に見つかりました。スランギカの弟、スサンシャは妻のディラーニを亡くしました。ディラーニは妊娠5ヶ月でした。ディラーニの遺体は8日後マングローブの森で見つかりました。隣の部屋にはスランギカの姉のマンガリカが住んでいますが彼女は8才の娘、チャンダニイを亡くしました。スランギカの母親のリーラワティは引き潮によって海に流され遺体は見つかりませんでした。スランギカの兄、スジットは息子のスバシュ(8才)と娘のニップニ(2才)を亡くしました。つまりスランギカは津波によって親族6名を失ったのです。

今回、私たちはコフィ・アナン国連事務総長が乗るヘリコプターが、津波による大きな被害を受けた隣の村、ハンバントタに移動するのを見かけました。

GHチームが家から家へと移動する間、何人かのVIPが避難所に到着しました。スリランカの国会議員や大臣です。家を失った人々の家を再建するためのプログラムについて説明すると、土地の提供について大変意欲的な返事をくれました。住宅建造のために土地が必要だという事を話し合うために、首相との面会の約束をとりつけてくれると言い、来週私と連絡をとることを約束してくれました。

タンガッラ在住の外国人が何人か、どうすればこの避難所の手助けができるかと私に聞いてきました。彼らはドライ・フードや必要物資を持ってきていて、何か他のことでも避難所を手助けできないか探していました。私たちはお互いの情報を共有し、避難所へのサービスや援助物資の重複を避けようと話合いました。

わくわくするようなニュースをいくつかお知らせしたいと思います!ヘマンサという漁師は、小船や所持品、家を失って、家族と共に避難所にやってきました。彼は私に言いました。「私はトロール船で働いてきましたし、これからも自活したいと思っています。去年の6月に私は自分の小船を作ろうと決心しました。若い頃父を手伝って小船を作ったので技術はあるんです。25,000ルピーでファイバーグラスの素材を買い求め、自分の小船を建造しました。自分の船があったら海に出て漁ができます。私は友人のためにも2,3隻作りましたし、同じ避難所にいる友達のスンニルも作り方を知っています。」

コロンボまでの帰途、突然ひらめきました。「小船を作ろう!」 ヘマンサとスンニルの技術を活用し、避難所の隣で小さなファイバーグラス製の小船を作ろうと話し合っています。正式に活動を始めようと、本日私は漁業省に許可を求めました。許可が下り次第、このプロジェクトを始めたいと思います。ヘマンサとスニルを、避難所の人々の力も借りれば良いと励まし、避難所にいる漁師全員が再び漁に出られるように船を作ろうと呼びかけました。大きな需要が見込まれますから、その後商業ベースでファイバーグラス製小船の建造を継続できる可能性もあります。これを読んでいる皆さん、雇用創出プロジェクトはまもなく始まります。私達はこのプロジェクトのために資金を提供したいと思っています。タンガッラの4名のボランティアがこのプロジェクトの運営メンバーとなります。漁師のための雇用創出プロジェクトを始めて、その後、住宅の建設まで見届けたいと思います。この家族が生活していけるようにという私達や皆さんの希望がすぐに現実となるよう私達も祈っています。

次は女性のための雇用創出の戦略を考え出さなくてはなりませんが、非常に多くの選択肢について私達は話し合っています。漁師は、皆、海に戻って元の仕事を続けることを望んでいます。

今週末の次の訪問では、私達は避難所に新しく来た24世帯に定住用の物資、また全員に新鮮な野菜と果物を配給する予定です。避難した人たちは、新鮮な野菜や果物をしばらく口にしていないからです。さらに子ども達には必要な学用品を配給します。もう一つのボランティア組識と話し合って、各家庭への調理器具の配給も考えています。

救援物資の配給を終えるころ、30代半ばの女性がトラックに近づいてきて枕を求めました。GHチームのメンバーが個数を尋ねると、彼女は「家族は4人でしたが子ども達は二人とも海にさらわれました」 と答え、悲しそうに私達が手渡した二つの枕をぎゅっと抱きしめました。こういった人達には答えるすべもなく、ただ言葉と行動でなぐさめるだけでした。

もし何か質問がありましたら喜んでお答えしたいと思います。

定住用パック
ドライ・フード 10kg
レンズ豆 1kg
緑ひよこ豆?green gram 1kg
砂糖 2kg
玉ねぎ 1kg
にんにく 250g
500g
調味料セット 700g
大豆ミンチ 500g
調理用油 500ml
500g
洗面用品 歯ブラシ 4パック
歯磨き粉 1パック
手洗い用石けん 5パック
洗濯石けん 3パック
蚊取り線香 3パック
マッチ箱 4パック
リネン ※家族の人数ずつ配給
タオル
ベッドシーツ
枕カバー
台所用品 包丁 1丁
メラミン樹脂製皿
メラミン樹脂製コップ
ステンレス製スプーン
メラミン樹脂製おたま 1個
やかん(4リットル) 1個
アルミニウム製フライパン 1個
アルミニウム製鍋 1個
プラスチック製たらい 1個
茶漉し 1個
小型木製腰掛け 1個
ココナッツ用へら
ミネラル・ウォーター 10リットル



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